下関の真ん中「うつい」
ホーム > うついとは
豊かな自然が残る「うつい」
本州の最西端に位置する下関市。海に、山に、空に抱かれた海峡都市の中心に「うつい」内日の町があります。下関は様々な歴史の舞台となった場所で、源氏と平家の決戦の場所、幕末の維新を動かした町、近代の水産基地など、過去から未来へと続く時代を造る熱い血が受け継がれています。内日は下関市のほぼ中心に位置した農業と林業を中心とした町です。豊かな自然に囲まれ、新鮮な水が美味しく安心なお米、農作物を育てます。 うついの田園風景
歴史ある土地「うつい」

■内日の歴史

内日の町は元は「内日村」と呼ばれ、明治のはじめまで内日上村、内日下村、植田村の3村がありました。明治22年4月1日に3村が合併し内日村が誕生。そして内日村は隣接する下関市に昭和30年11月1日に合併となりました。2005年(平成17年)2月13日に下関市、豊浦郡菊川町、豊田町、豊浦町、豊北町が合併(新設合併)し、新たに下関市が発足。大きくなった下関市で内日は中心に位置する町となったのです。
■内日の行事
5月 内日ダム水神祭、内日神社春季大祭
6月 内日お田植え祭
7月 祇園祭
8月 内日夏祭り、風鎮祭
9月 幼・小・中学校合同運動会
11月 内日文化祭、スポーツ大会、内日神社秋季大祭
12月 内日神社新嘗祭
■内日の産業
農業、林業が中心です。近年ではデイサービスなどの豊かな自然を活かしたケアビジネスも増えています。
五年神
五年神(現在は行われておりません)
お田植祭り
内日お田植祭り
豊かな自然が残る「うつい」

■貯水池

明治23年、政府の水道条例公布と国庫補助制度が確立したことにより、下関市も待望の水道布設工事を行う事になり、内務省に調査を依頼しました。 内務省の顧問技師、W.K.バルトン(スコットランド出身)が本市に派遣され、内日村の一ノ瀬を水源地とする計画がまとまられました。しかし、当時の財政状況や物価高騰等もあって、工事に着工したのは明治34年になってからでした。 バルトンの調査から実に15年の月日を費やし、明治39年1月1日、待望の給水を開始することができたのでした。
うついの田園風景

■音無稲荷神社

祭神、倉稲魂神。文亀2年(1502)京都の伏見稲荷から勧請しました。神殿の背後に大きな岩があります。 稲荷信仰には、インドの茶吉尼天の信仰があります。仏教のおきたインドでは茶吉尼天という女神がいまして、人の死を6ヶ月前に知って、その人の心臓を食うという悪神だったのが、仏教によって善神となり、心臓の垢を食う延命長寿の神として信仰されました。茶吉尼天は、室町時代に狐の精として稲荷権現などの神体とされ、像は剣と宝珠を持って白狐の背に跨がっています。
音無稲荷神社

■内日ダム

内日地区の常襲的な干ばつ被害に対する用水補給と、大型機械導入に伴う用水源を確保するため、県営による農業用水専用のゾーンタイプフイルダムとして築造されました。 内日ダム周辺は、農業水利施設高度利用事業により「エントランス広場」「休憩広場」「憩いの広場」「ふれあい広場」等からなる「森と湖と花」の自然公園が設けられています。 また、「さくら広場」の一角には、内日地区全体の水の守り神をお祀りした水神社が建立してあります。
内日ダム

◎お問い合せ
企業組合 うつい工房
〒750-0253
山口県下関市大字内日下
1137番地

TEL/FAX
083(289)2344

E-mail:info@utsui-kobo.co.jp